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聖子さん日記2003


2003年12月25日(木)

「ラーメン王の言葉」
 
 テレビ東京のTVチャンピオンという番組でラーメン王選手権というのがある。ラーメン屋通を競うあう番組だ。
その番組で何年か前、東大の助教授が優勝したことがあった。そのとき彼の残した言葉が印象に残っている。

「いつもうまいラーメンを出してくる店はもちろん良いわけですが、たまにいいラーメンを出してくる店も大切にしたい」

 なんという含蓄に富んだ言葉であろうか。
店を選ぶ時に、よくまとまった平均点の高い店を選ぶことは重要だが、それだけでは本当においしいラーメンにたどり着くことはできない。本当においしいラーメンを作るのは、たまにしか良いラーメンを作らない店である。

 わが佐藤聖子さんも、たまにしかいいラーメンを出さない店であったことは確かである。ライブや放送では、耳を覆いたくなるような下手くそな歌声をよく出していたことは事実である。ライブもスロースターターで前半悪く後半良くなることも多かった。

 しかし、何度かライブに通っていると、時にこの世のものとも思えないほど、美しい歌声を聴かせてくれた。CDに記録されている歌声以上にすばらしい声。この一回のライブによって何度もの失敗が帳消しになってしまう。

 私自身も病気の身で、いつも生産性の高い仕事をすることはできない。たまにいいラーメンを出してくる店でありたいと思っている。

追加
 この文を書いている間、ずっとVoice of Americaというラジオを聴いていましたが、いつもは、いかめしいニュース番組ばかりなのに、今日はクリスマスソング満載でとっても幸せな気分になりました。


2003年12月24日(水)

「聖子さんのクリスマスソング」
 
 今年のクリスマスは久しぶりに家族そろって元気に迎えることができた。ローストチキン、妻の大好きなカニ、そして特大のケーキ。子供たちもロウソクの火を消したり、シャンパンを開けてみたりして大はしゃぎだった。毎年、こんな平和なクリスマスを迎えたいと切に願っている。

 聖子さんのクリスマスソングは全部で何曲あるか知っているだろうか。答えは3曲だ。「アフターブルー」「ロマンス」「WISH」である。「ロマンス」はアルバム未収録のため、ご存じない方もいるかもしれない。「アフターブルー」はクリスマスの直前に恋人と別れてしまう話、「ロマンス」は憧れの男性と初めてのクリスマスを迎える話、「WISH」は遠距離恋愛の恋人を駅に迎えに行く話である。

 私にとって「アフターブルー」は、第一に幸福を破壊する暴力の存在を感じる歌である。何度その暴力に家庭を破壊されてきたことか。若者の失恋とはわけが違う。第二に青春の甘さを感じる。この歌の聖子さんは若いだけ悲壮感がない。私も若いときは、いつもこの歌のような気持ちを抱いていた。

 「ロマンス」は、妻と出会ったころのことを思い出させる。あのころは、何もかもが目新しくて、慌しく時が流れていた。だから、具体的な記憶はあまりなくて、ただ幸福だったという感情の記憶しか残っていない。その点、妻は何もかもよく覚えていて、時折詳しい内容の思い出を私に話してくれる。そんな時、私は自分が確かに幸せだったことを確認できるのだ。

 「WISH」は細い電話線1本で結ばれた愛の物語である。私たちが恋人であったときも、転勤で150kmも離れ離れになり、電話線で愛をつないだことがある。休みの日には高速飛ばして逢いにいったものだ。この歌の聖子さんたちは、もっと離れ離れで、明らかに新幹線を使って何百キロも走って逢いに来る様子だ。本当に細い電話線で結ばれた今にも切れてしまいそうな関係である。恋愛の太い線が細く細く引き伸ばされてゆく感覚が切ない。この歌の感想として、「クリスマスにデートできてハッピーエンドだね」というのもありえるが、私にはそうは思えない。今、このクリスマスの一瞬は幸せ一杯だけど、このあと二人の関係がどうなってゆくかは、お先真っ暗でぜんぜんわからない。お先真っ暗な中での一瞬の幸せというのが、この歌の本当のココロだと思う。

 みなさんは聖子さんのクリスマスソングをどう思いますか。どの歌が一番好きですか。


2003年12月22日(月)

「狂気」

 病気が悪化してまた会社を休んでいる。2日前に精神病院を抜け出した。
 昨年、私は躁鬱病と診断されたわけだが、自分の生活を振り返ってみると、発病は実に十年前だったことに気づく。
 そして、聖子さんを熱心に応援していた時代は、ちょうど激しい躁の時期と重なることがわかる。私が聖子さんを大好きになったのは、狂気のなせる業だったのだ。このホームページも狂気の産物ということができるかもしれない。
 今の私にできることは、狂気をすべて否定してしまうことではなく、自分の一部分として肯定することしかない。狂気をいかにコントロールするかが私の課題となるのだろう。
 社会ではそのような人を狂人と呼ぶのだろう。


2003年11月15日(土)

「romeo]

 死ぬ死ぬ病は、新しい薬と1週間の静養でほぼ治った。木曜から会社に行ったが、会社ではまだ具合が悪い。
 私は重症の睡眠時無呼吸症候群と診断されているので、調子が悪いのだろう。来週から治療するのでだんだん昼間も好調になるものと思われる。
 さて、そんな日々を送っている間に、amazonから1枚のCDが届いた。加藤いづみさんのNewAlbum「romeo」だ。いづみさんが現在でも一定のペースで活動しているのは賞賛に値する。いづみさんと聖子さんの決定的な差は何なのだったろう。深く考えれば考えるほど、重苦しい気分になってゆく。
 結局、romeoの包装はまだ封を切られずに、放って置かれている。


2003年11月6日(木)

「死ぬ死ぬ汚染」

 昨日、会社で気分が悪くなり、病院に行き、一週間休養の診断を受けてしまった。原因は死ぬ死ぬ病だ。
 健康な人でも頭にいろんな音楽が浮かんできたりすることがあると思うが、私の場合、それに全部「死ぬ死ぬ」という歌詞をつけて頭の中で歌ってしまう。人がいないときは、声に出して歌ってしまう。
 いまのところ浮かんでくる音楽といえば、クラシックが多い。クロイツェルソナタとか。あとはYMOとか。私にとっては、汚染されてしまった曲といっていいだろう。
 聖子さんの曲は今のところ汚染を免れている。私にとって大切な曲だから。
 死ぬ死ぬ病が治ったら、聖子さんの歌をたっぷり聴いて、頭の中を浄化するつもりだ。

2003年10月18日(土)

「お久しぶり」

 聖子さんが留学して、のびのびしている。新しい情報がないか、いらいらしなくて済んでいるから。

 私の生活もすっかり変わってしまった。私は精神病院の福祉施設に入所し、そこから会社へ通っている。最近、病状が良くなり、土日は自宅に帰れるようになったので、この日記も書いている。でも最近、呼吸器系の疾患も患うようになって、大病院に何度も検査にいっているので心配だ。

 今の自分の生活から比べれば、聖子さんは、はるかに有意義な毎日を過ごしているに違いない。だから何も心配していない。
 聖子さんの歌を聴きだしたころから比べれば、私は地獄に落ち、聖子さんはひかりのせかいに行ってしまった。

2003年5月8日(木)

「芸能界引退」

 ようやくこの話題について語る時が来た。聖子さんのアモン退社が確認されたのは、MASAさんがメールで問い合わせた3月中旬。それからずっと気持ちの整理ができないでいた。アモン側が言う芸能界引退という言葉は重い。まるで我々がもう二度と聖子さんに会えないという印象を受ける。あれだけ活動していなかったのだから、当然来るべきときがやってきたんだという感想もある。普通の会社ならとっくにリストラだ。

 最後のリリースから5年の間にいったい何が聖子さんの中で何があったのだろうか。曲を作っていたというのは本当か。なんであんなにライブに消極的だったのだろう。ライブ恐怖症を最後まで克服できなかったのか。ライブで泥まみれになってまで音楽を続けたくないという聖子さんのプライドのようなものがうかがえる。

 今は私は西脇唯さんの言葉「歌と踊りという形で戻ってくる」というのを信じている。フラメンコをやっている限り、聖子さんが我々の前から姿を消してしまうことはない。これからも聖子さんの人生を見つめ続けてゆきたい。

2003年5月7日(水)

「ずっと聴かずにいた大好きな...」

 実をいうと、ここ1年くらい聖子さんの歌を、あまり聴きこんでいなかった。病気で車が運転できなくなり、カーステレオを聴けなくなったのが最大の原因。だが他にも原因はある。音楽鑑賞ができないほど神経が弱っていたというのも原因のひとつ。

 この間の日曜日にCDラジカセを購入した。これで、自分の部屋で音楽をじっくり楽しめる。神経も最近は落ち着いてきた。また再び聖子さん三昧の日々を送ろう。
 
 この日記の更新が滞っていたのも、使っていた古いHTMLエディタに不具合が出ていたから。新しいエディタを購入したので、もう心配ない。どんどん日記を書いてゆけるように精神的にも落ち着けばよいと思っている。

 そして事務所を辞めて新しい世界に出発した聖子さんのことを、じっくり書いてゆきたい。

2003年2月2日(日)

「スペイン留学」

 聖子さんがフラメンコのためスペインに留学するそうだ。30才を過ぎて新しいことに挑戦することは、一般的に言ってかなり難しい。聖子さんはよほど恵まれた環境にあるのだと思う。うらやましい。フラメンコをやりながら、スペイン語の勉強もできるのだから、こんなに恵まれた話はない。何年行くのかは知らないが、しっかり勉強して、フラメンコのプロとして通用する技術を身につけてほしい。

 聖子さんの生涯の夢は舞台に立ち続けることだと思っている。子供のころやっていた俳優、その夢が断たれると、今度は歌手、それが終わると、今度はフラメンコ。きっと聖子さんは、舞台に上がった時の昂揚感が忘れられないのだろう。そのために手を変え、品を変え、舞台に立ち続けようとしている。俳優になる夢や、歌手になる夢は、中途半端に終わってしまった。今度こそ一人前の舞踏家になるという夢を大成させてほしいものだ。

 とはいえ、普通の人は、どんなにつらくとも、もっと一筋の道に打ち込んでいる。聖子さん、あなたの生き方はちょっと器用すぎるのではないですか。ちょっと留学して、ハクをつけたくらいで、フラメンコで飯が食えるなんて思っていませんか。飯を食うことは、聖子さんにとってはどうでもいいことかもしれない。だけど、私は趣味としてフラメンコを踊る聖子さんの姿を見たくない。あくまでも飯が食える一流の舞踏家になってほしい。

 それに聖子さんの歳で外国に長期間留学すると、ますます結婚から遠ざかってしまう。聖子さん、あなたの夢は、暖かい家庭を持つことを捨ててしまうほど価値のあるものですか。聖子さんの持っている舞台に立ち続けることに対するこだわりと、どちらが大事ですか。どんなに売れなくても、フラメンコに残りの人生すべてを捧げる覚悟はできていますか。

 聖子さんの夢を追い求める姿勢には敬意を表しますが、私は聖子さんのことが心配です。

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