TOP 

佐藤聖子さんの思い出
(2000年当時)

出会い

 聖子さんと出会ったのは、アルバム「SEASON」でした。

 それまで名前も顔も歌もぜんぜん知らなかったのに、CDショップの店頭で、真っ白な夏服をきて微笑む聖子さんのジャケットの写真を見て、むしょうにそのCDが欲しくなり、買ってしまいました。

 CDショップから帰る車の中で、はじめて聖子さんの歌声を聞きました。元気なハイトーンボイスでラブソングを歌う聖子さんは、まるで自分とは別の世界に住んでいる人間のように思えて、とても魅力的でした。とくに「Jasmine」が耳について離れませんでした。

 それからというもの、聖子さんのCDを買い集め、毎日毎日朝から晩まで聖子さんの歌声ばかりを聴くようになっていました。

はじめてのライブ

 そんなある日、突然、どうしても聖子さんを生で見たいという衝動に襲われました。調べてみると、ちょうど3日後に東京の日清パワーステーションで、ライブが開催されることがわかりました。私は、どうしても急用があるからと会社を休み、高速バスに乗り、東京まで行きました。チケットは持っていなかったけれども、運良く当日券があり、なんとか入場することができました。

 聖子さんの登場を待つ間、いったいどんな女の子が出てくるのか、いろいろ想像していました。それというのも、当時の出ていたCDの写真が、それぞれまるで別々の人間を写したように、イメージが違っていたからです。のちに聖子さんは髪型をひんぱんに変えるので有名になりますが、当時からすでにその傾向がありました。

 やがて、聖子さんは、おかしな普段着のような服をきて登場してきました。聖子さんは、ちょっと目立つ顔をした普通の女の子に見えました。最初の曲は、たしか「Peach Time」だったような気がします。表情や歌もぎこちなく、最初は見ててかなりハラハラしました。途中からだんだん聖子さんも調子が出てきました。独特のくるくる回るような踊り方が、印象的でした。私も、いつのまにか聖子さんの歌声に合わせて「Jasmine」や「東京タワー」を歌っていました。私は、そのとき「いま、聖子さんと同じ世界にいるんだ」という感動でいっぱいでした。

 その夜、私は深夜バスで帰路につきましたが、目がさえて眠れませんでした。ライブのおまけでもらった聖子さんのメッセージ入りのCDなどをずっと聴いていました。メッセージCDの中で、聖子さんは、「あたしは10年後もっと有名になる」と強気なことを言っていました。私は、そんなにがんばってブレイクしなくとも、目の前にいる観客のためだけに歌ってくれればいいのにと、すこし違和感を感じました。

 帰りついたときは、精神がかなりハイになっており、夕べ体験したことがまるで現実ではないように思えました。自分は遠い夢の世界に行ってきて、また現実の世界に戻ってきたのだと思いました。

 その後、私は、何度となく聖子さんのライブに行きましたが、この日の感動、まるで恋をしたようなハイな気分は、ずっと忘れることができません。

ツアー

 ミニアルバム「Marvelous Act」の発売後、東名阪ツアーが開催されました。3ヶ所全部行った人が何人もいたようです。私など足元にも及ばないすごいファンの人たちが、たくさんいるのを知り、驚きました。4〜5人とは顔見知りになりました。最後の中野サンプラザで、会場にまかれたくもの糸のような紙の切れはしを、みんな記念に持って帰りたくて、何人かで分け合ったことを思い出します。みんな、いま、どうしてるんでしょうか。どこかで聖子さんの応援をしているのでしょうか。消息が知りたいところです。もし、いまこれを読んでおられたら、メールでもいただければ幸いです。

 このツアーでみた聖子さんは少し弱気になっていました。最初の大阪の時に「今年は自分との戦い」と言ってみたり、最後の中野サンプラザでも「今日のことは一生忘れません」と、まるで、もう一生ホールコンサートができないかのような発言をしていました。「自分はブレイクできるのだろうか」という重圧と必死で戦っている聖子さんの胸の内がかいまみえ、かわいそうでした。

一度だけの会話

 私は、聖子さんを一生懸命応援していましたが、現実の世界では、結婚を真剣に考えていました。結婚してしまえば、もう聖子さんの応援を派手にやることはできない、その前にぜひ一度だけでいいから、聖子さんに直接会って話をしてみたいと思っていました。そして、そのチャンスはやってきました。

 「一緒にいよう」が発売されたころ、地元のラジオ局に聖子さんがやってきました。スタジオは道路に面したガラス張りで、外から自由に中をのぞくことができます。私は、その前でじっと一人、待っていました。やがて聖子さんが登場し、番組が始まりました。ライブでは、いつも大勢の人と一緒に見ているのに、そのときは観客が自分一人しかいなくて、聖子さんがすぐ目の前にいて、信じられない気分でした。「一緒にいよう」がかけられたとき、相手役のアナウンサーが、どこが曲の終わりかわからず、慌てていたのを覚えています。

 やがて、番組が終わり、聖子さんはスタジオから去りました。行方を追ってあたりをうかがっていると、ちょうど通用口から出て、タクシーに乗ろうとしているのを発見しました。私はすかさず「聖子さん、サインお願いします」と大声で叫びながら、駆け寄りました。

 はじめて至近距離で見た聖子さんは、とっても目がくりくりしていて、ライブで見るよりも何十倍もかわいく見えました。やっぱり普通の女の子なんかとは、まったく違う人間なんだと実感しました。サインを書いてもらう間、私はとにかく聖子さんに話し掛けねばと思い、思いついたことをいってみました。「実は、マーベラスのツアー3つとも見に行ったんですよ」すると聖子さんは、すこし驚いて、まるでストーカーを見るような目つきで(半分当たっていたかもしれない)私を見て言いました。「ああ、そう。じゃあ今度は友達をいっぱい10人くらい連れてきて」

 サインを書き終わると、聖子さんは、握手してくれました。そしてタクシーに乗って去っていきました。

 たった2、3分の出来事でしたが、聖子さんとの、生涯ただ一度の一対一の出会いでした。そのわずかの時間に、私は、聖子さんの生身の女性としての、魅力、弱さ、強さを見たような気がしました。

 その後、まもなく、私は、遠くの町に転勤になり、しばらくして恋人とも結婚しました。そのころ発売されたのが「さよならがおしえてくれる」でした。その歌は、まるで、聖子さんが、私に別れを告げているように聞こえました。

最後のライブ

 聖子さんのファンクラブにも、迷ったあげくに入会しましたが、会報がくるたび、妻がいやそうな顔をするので、結局1年でやめてしまいました。自分一人がやめても、聖子さんには、熱心なファンの人がたくさんいることがわかっていましたので、大丈夫だと思っていました。聖子さんもそのころは、時々テレビなどに出演し、ある程度、存在感があったと思います。

 もうこれからは大人のファンでいよう、CDだけを買って、子供が大きくなるまでは、聖子さんのライブに行くのもやめようと思っていました。

 そんな私でしたが、一度だけ、ライブに行ったことがあります。「Crystal」が発売された直後のことです。私は東京に用事があるからと妻をだまし、ライブに出かけました。私はそのころ、気が重くなる出来事があり、聖子さんの歌声でも聴けば、少しは気が晴れるのではと思っていました。

 聖子さんは、以前よりずっと女性らしさが増し、歌もうまくなっていました。内容的にはすばらしいライブだったと思います。

 でも、私の心はなぜか晴れませんでした。理由はうまく説明できませんが、妻子を捨ててライブに来ているという罪悪感や、若若しい曲をライブで聴くのは、もうつらいかなといった感じがあったように思います。もっと聖子さんの歌声で大人のラブソングが聞きたいと思いました。「Crystal」はかなりそういう印象になっていますが、もっと、もっと、と思いました。

 心が晴れなかったもうひとつの理由は、2日間に分散したせいか、観客の人数がかなり少なかったことです。聖子さんはこれから大丈夫だろうかという不安がよぎりました。

 聖子さんの歌声でもっと大人っぽい歌が聞きたいという願いは、それから後に出たシングルによってかなえられました。以前よりCDの発表される間隔は長くなったけれども、それに関してはとりたてて心配してませんでした。むしろ、CDを矢継ぎ早に発表していた頃と比べて、やっと聖子さんもマイペースで活動できるようになってよかったと、逆に安心していました。

 ファンクラブを抜けていた私は、聖子さんに関して情報源がなく、ときどき聖子さんの新曲が出る夢や、ライブにいく夢を見ては、聖子さんのことを思い出し、ネット上で情報を探すという状態が続きました。

いつまでも歌いつづけてほしい

 聖子さんはマイペースで活動を続けているものと信じていた呑気な私でしたが、2000年になって衝撃的なニュースを知りました。なんとオフィシャルファンクラブは解散。今後の活動予定は白紙。一部のうわさでは、このまま活動停止だとか、事務所をクビになっただとか、お先真っ暗な話ばかり。唯一の救いは、聖子さん本人が割と元気らしいという話です。

 私は、とても聖子さんのことが心配です。気の強いわりに、内面がとても弱々しいことを知っているから。聖子さんの歌を聞けば、それは大体わかっていただけると思います。聖子さんが周囲からのプレッシャーに打ちのめされて、活動意欲をすっかりなくしてしまったのでは、と心配しています。でも、どんなプレッシャーがあっても、聖子さんは、気に病むことはありません。聖子さんには、ファンのみんながついています。

 ファンのみんながどれだけ聖子さんのことを待ち焦がれていることか。私が言うのもおこがましいですが、みんな本当に聖子さんの歌を心の糧にして生きています。聖子さんの歌声が聞けなくなったら、どうしたらいいのでしょうか。私たちの心を本当に満たしてくれる歌手は、この世で聖子さんたった一人しかいません。

 少なくとも私は、どんなに細々とした活動でもいいから、聖子さんに、いつまでも歌いつづけてほしいと願っています。新曲は4年に一回でもいい、ライブは弾き語りのみでもいい、どんなに小さい会場でもいい、年に1、2回でいい、とにかく活動意欲をなくさないでいてほしいです。

 東京でのライブとなると、病気の妻と2人の幼い子供を抱えた地方在住者の私は、ほとんど参加できる見込みがありません。それでもいいのです。聖子さんが活動しているという話を聞くだけで、どんなに励みになることかわかりません。聖子さんがいなくなる、姿が見えなくなる状況は、耐えがたいです。

 ファンクラブがなくなった今、聖子さんがどこで何をしているのか、活動を再開する意欲はあるのか、ファンはみんなとても知りたいと思っています。ネット上には、聖子さんがファンに情報を伝える場がたくさん用意されています。そういうものを利用して、何ヶ月かに一度、ファンに何らかのメッセージを発信してほしいです。

 でも、ほんとのことを言えば、もうそれすらも、聖子さんに期待できる状況ではないような気がします。もう聖子さんも歌のことは忘れて、ひとりの女性としての幸せを追求したほうがいいのかもしれません。そのほうが聖子さんにとって幸せであるならば、それでいいです。そして、どこかで風のうわさにでも「あたしは今、とても幸せだよ!」というメッセージが流れてきたなら、それで納得しよう。そして、いつまでも聖子さんの思い出を胸に抱きながら、生きていこうと覚悟しています。

 聖子さんが、もし、このままずっと活動を停止することになっても、決して挫折したなんて思わないでください。聖子さんは、多くの人の心に、いつまでも忘れることのできない感動を与えるという、とても大きな仕事を成し遂げたのです。そのことは、聖子さんが、別の生活を送られることになっても、ずっと誇りにしてほしいです。そして、聖子さんのことをいつまでも決して忘れないファンがたくさんいるということを覚えておいてほしいです。

inserted by FC2 system